昨日は、 山形テルサホールでトークショーでした。 朝、ホテルの人に、 「山形と言えば、さくらんぼだっべ」と言われ、 みつろう「なるほど・・・、 じゃあ、今日の講演会では大塚愛さんのさくらんぼを歌えば、山形の人はみんな喜んでくれるのね。」 という単純な発想から、皆へLINE↓ でスタートして、会場の山形の皆さんに聞いてみたら、 さくらんぼ以外にも名産はあるし、 てか、さくらんぼとか見過ぎてて興味ないし、 そもそも大塚愛さんは山形出身じゃねーし! という悲惨な話しになり、 「そもそも、これ何のために歌うんだ?」 と・・・。 このまま引き下がる訳にはいかないM氏は、 持ち前のド根性で、 この「さくらんぼ」という曲がいかに深い曲なのかを説明しようと、 会場で初めて歌詞を読む・・・、 1番は無理・・・、 2番は・・・、無理。 ・・・。 これ、どう頑張っても深い意味付けが出来ない歌詞じゃん・・・。 手帳開くともう、2年経つなぁ~って♪ やっぱ実感するね、なんだか照れくさいね♪イエイ♪ これを、深い意味があるかのように解説しなければイケナイ・・・。 このただの恋愛ソングに、この世の真理と宇宙の法則が見え隠れしているんだよと言わないといけない。 ・・・。 「超訳!」 それ以外に、私の生きる道は無い。 だって、目の前には「さくらんぼ」に飽きとる300人の山形県民!! 頑張れ、おれ!! ん? よく読むと歌詞に、 隣り同士、あ~な~たと私さくらんぼ♪ って部分がある・・。 「あなた」と「わたし」・・・。 これは・・・。 「わたし(観測者)」と「せかい(観測対象)」の分離の話しに持ってイケルかも・・・。 いや、もって行くしかない!! 頑張れ、おれ!! 僕は、「ツインソウル」という言葉が昔から理解できません。 というか、ピンと来ない。 世界のどこかに「わたし」とだけ引き合っている「運命の人」が居るとする説がツインソウル。 でもそれって、「特定のダレカ」じゃないと思うんです。 もしそうだとしたら、 過去の恋愛は、何だったんでしょうか? その時も、あなたは「この人が運命の人よ!」と言ってたはずです。 真剣に、好きだったはずです。 さらに、「魂のツインソウルについに出会ったのよ!!」と言って、 3年後に講演会でお会いすると、 「あの方じゃ無かったの」「もっと別にツインソウルが居るようだ」と釈明する人も多々見かけます。 じゃあ、ツイン×ツインで、トリプルソールじゃん!とか思ったり。 僕が思うのは、ツインソールじゃなくて、 さくらんぼ。 それは、「わたし」と「せかい」の恋物語。 在るのは、「わたし(見るもの)」と「せかい(見られるもの)」という分離だけ。 「わたし」が見る者なら、 「せかい」は観られるモノ。 「わたし」が聞く者なら、 「せかい」は聞かれるモノ。 「わたし」が認識する者なら、 「せかい」は認識されるモノ。 「わたし」が恋する者なら、 「せかい」は恋されるモノ。 だから、「せかい」の部分は「特定の人」ではなく、 それどころか、「人」ですらなくても当てはまるんです。 例えば、 「わたし」が、夕焼け(せかい)を観た時。 見る者が「わたし」で、 見られるモノが「夕焼け」。 これも、さくらんぼだと思うんです。 「わたし」と「夕焼け」という分離。 でも本当は、上のヘタで繋がっている。 だって本当は「1つ」だから。 さらに、怒るトキだって「せかい」と「わたし」は、 さくらんぼ。 怒らせるモノと、怒った「わたし」の分離だから。 または、ベンツを欲しがったなら、 「欲しがるわたし」と、「欲しがられるベンツ」という二分があるだけなので、 これもさくらんぼ。 「恋」だけじゃなく、 「怒り」も、「夢」も、 「悩み」だって、さくらんぼ。 「悩み」が発生している場所には絶対に、 悩む「わたし」と、悩ませる「だれか」が発生しているから。 最新の物理の実験でも、分かってきている事実。 空間からは常に、性質続きをみる
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