例えば僕が来週、『空の色は何色か?』という講演会を主催したとする。きっと、誰も来ない。なぜなら、「空の色は青色」というのは当たり前だから。当たり前のことに、人の耳目は立たない。当たり前のことに、人は興味を持たない。じゃあ仕方ないと、『空の色はピンクだ!』という講演会を主催したとする。すると「え?」ってなるし、「およよ?」ってなるから、ひょっとすると3人くらい集まるかもしれない。ところがどっこいしょ。その講演会で習った「空の色はピンクなんだよ」は、日常ではまったく活かせない。なぜなら、空の色は青だからだ。当たり前のことは、お金にならない。でも、当たり前じゃないことは使えない。そして皆、「当たり前じゃないこと」を求めて今日も生きている。僕たちがお金を使いたいのは、「使えないこと」になのだ。分かりやすい「たとえ」にするため、『講演会』という題材にしたが、このロジックは他の全てに当てはまる。当たり前のディズニーランドがオープンしたとしよう。メインアトラクションは「皿洗い」。3時間待ちの人気グッズは「母の会話録音」。お土産に買うなら「空の色大辞典」。誰も行かないだろう。逆に、「お金を払って」でも行きたくなるということは、そこでは「当たり前じゃないこと」が起こるのだ。巨大なネズミが居る。アヒルの声がカスレている。90度の角度で建築基準法を違反している構造物がある。めちゃくちゃ「楽しい」けど、日常生活では使えない。なぜなら、「当たり前じゃない」からだ。巨大なネズミは、日常生活に出ない。誰にでもフレンドリーに抱き着いてくれるアヒルが麹町には居ない。当然だけど、「ディズニーに行くな」なんて話しじゃない。当たり前じゃない事は「楽しい」のだから、むしろ行った方が良い。ただ、ロジックと原理を書いてみた。当たり前のことは、お金にならない。でも、当たり前じゃないことは日常では使えない。そしてみんな、「当続きをみる
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