人間は定期的に「謝る」必要がある。何一つ間違ったことをしていなくても、悪いことなんて無縁でも。道徳も法律も、他人への迷惑値が0でも。人は定期的に「謝る」必要がある。聖書ではそれを「原罪」または「リンゴの実喰ったやろがボケ!」と書かれている。??「どうして、謝るのか?」と聞く前に、じゃあ、どうして「謝らないのか」。謝りたくないのか。それは、自分がやっている「行動」に自信を持っているから。「この道が、絶対に正しい!」と。自分の意思(どっちが良い・悪い)を保持し続けたい。要するに、「道」が増えない。パーマをかけたなら、すぐ謝った方が良い。「パーマをかけてごめんなさい」と。 「はぁ?パーマとか誰でもかけてるし、犯罪でも何でも無いわよ!」謝らなかったら、【パーマは悪いことじゃないわよ!】という【考え】以外の「道」が増えない。※それが論理的に正しいかどうかという問題ではない空気を吸ったなら、謝った方が良い。「全員吸ってるわ、ぼけ!」【全員がやってることなのに、私だけに謝れとか意味不明よ!】という【考え】以外の「道」が増えない。謝ることが無いなら、今すぐ謝った方が良い。「謝ることが無くて、すみません」と。とにかく、神さまは定期的に「謝る」ような出来事を起こす。何一つ悪いことをしていない人にでも「誤る」ように仕向け、どうにかして「謝らせる(自分の信じたこと以外を信じるきっかけ)」を与える。 「あの時、あの人に悪いことしたな」とか、「謝る具体的な事例」が思い浮かぶ人よりも、「マジでなんにも謝ることなんてない」って人ほど、定期的に謝った方が良い。もし10年間謝っていないなら、その人の【信念】は10年間更新されていないことになるのだから。今日は、11月のミソカモウデの日。「感謝したいこと」が思い浮かばない人は、ただただ何の理由もなく謝ってみては? さとうみつろう『なんか、すみませんでした』 明続きをみる
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