「哲学を始めたのはヒマ人だった」過去記事で何度か紹介した言葉。「人生とは?」って考えられるのは、どんな人だろう?「宇宙の外側は?」と思いを馳せているのは、どんな人だろう?少なくとも、ブラック企業の社員じゃないことは分かる。夜12時まで残業して、家で帰ってカップラーメンすすって、朝6時の電車に飛び乗る。目の前の生活に必死なうちは、「宇宙とは?」なんて思うはずが無いのだ。3人の子供を産み、子育てに毎日忙しい主婦でも無いだろう。「哲学を始めたのはヒマ人だった」ブッタは王子様だった。メチャクチャ金持ちだった。彼の父(国王)は可愛い息子に「悲しみ」という現象が世界にあること、「死」があること、それどころか「老化」という現象がこの世にあることすらも隠していた。だからブッタは家出するまで「枯れ葉」も見たことが無かったとされる。街に出て、初めて老人を見て「あれは何だ?」と家来に聞いている。「あれは、老人でございます。」「私も、いつか老化するのか?」「そうでございます」とにかく国王は完全に「ネガティブな情報」をシャットアウトし、息子には「春」だけを見せた。そのくらい大金持ちだったから、「ア~ナンダ、宇宙とは何だろう?」なんて悠長に言えるのである。ソクラテスもそう。カントも。空海も経済的に支えた謎のパトロンが居たそうな(遣唐使の費用を出した人)。とにかく、「哲学を始めたのはヒマ人だった」今日はこれを、【社会システム】という側面から考察してみよう。いま、社会としてトータルで「21時間」の仕事量があったとする。3人で均等に割れば、1人7時間ずつ「狩猟とか皿洗いとか」の労働になる。それを、Aさんが一日に12時間労働し、Bさんが9時間労働すると、Cさんは0時間労働でも「社会」は成り立つ。さて、この場合。AさんとBさんは、Cさんへ「余剰時間(考える時間)」を与えるために、多めに労働したとも言える。もちろん、当人たちはそんなこと1mmも思ってない。Aさんは「ブラック企業なんて早く辞めたい」と思い、Bさんは「主婦は大変なのよ!」が口ぐせ。本人たちは、好きで労働者階級をしている訳じゃない。でも、「人間社会」というトータルの枠から俯瞰して観ると、AさんとBさんの「頑張り」が、Cさんへ「考える時間」を与えている、と言えるのだ。ブッタも、キリストも。その役目をしっかりと受け取った。私は「余剰時間を与えられている立場」だと悟り、目の前のことに必死な人たちでは思いもつかないような、「宇宙とは?」「人生とは?」「正義とは?」「そもそも」これら哲学的思考に考えを巡らせた。 さとうみつろう『WATER~嫌いなことも3秒で好続きをみる
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