良くも悪くも、この3年間は「自分とは違う考え方をする人が居る」ということを世界は強烈に学んだはず。この騒動が無ければ、「みんな、私の味方(同意見)」だと思って、人々は生きていたかもしれない。例えば半年前に、「そろそろ黙食を子供に強いるのは止めよう」 という市長の投稿を観た。俺なんて、世界中みんな「YES I DO!」くらいに共感してるかと思ったら、ヤフーコメント欄では、「黙って食べるのは当たり前」「しつけがなってない」「子供は我慢させなさい」というのが3割くらいあって、マージで多様性という「意味」を感じた。夢にも思わなかったよ、子供たちに楽しい給食を!の、反対の「正しさ」が向こう側にあっただなんて。これだけじゃなく、そして僕だけじゃなく。世界はこの3年間で、「私とは違う価値観の人がいっぱい居る(みんな同意見ではない)んかい!」を強烈に「実体験」を含めて学んだはず。ワタシとは、違う考えの人が居る。それはきっと、めっちゃイイコト。みんな、ワタシと同じ意見なら、世界にはワタシ1人だけ居れば十分。「違い」の数だけ、他者が必要になる。 ↑この投稿も、誰かを責めたい訳じゃ無くて、「USAはドッキリのレベルが違う!」ということを言いたかったんだけど。結構シェアされてる投稿を読むと「ファイザーの社員」を責めるような内容が多い。彼を責めて、どうなるんだろう。ひょっとして、いつの日か「ざまーみろ」と相手方に言いたいがために、ワクチンを打たなかったのかな?自分のウサを晴らすために、啓蒙してるのかな。 『ブルーハーツTRAINTRAIN』弱い者たちが夕暮れ、さらに弱い者を叩く。その音が響き渡ればブルースは加速して行くあの研究員も、幸せであって欲しいよねー。ファイザーの社長も。参謀も、社員も。仮に「続きをみる
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