久しぶりに伊勢の御神田へ。草刈りをしている老人が2人。 話しかけて、これが、レイビレッジでも育てているイセヒカリだということ、この田んぼは、地元の人で管理していること。もう若い人が居ないことなどを炎天下で立ち話。その中で、メチャクチャ深い言葉を頂いた。自由には、できないことがある。 老人A「もう誰も若い者も継がないからな、自分らで終わりちゃうかな。だって、お兄さんは出来る?お金も貰ってないし、地域の伝統だからと言って管理している。草刈り機も、ガソリンも、自分で持って来てやってるんやで。今の若いのには、もう出来ないだろう。自由や権利とは違う世界で、グレーどころか、真っ黒なブラックや。憲法違反やし、最低賃金もない。それでも、地元の人でやってきたんや。ええか、自由には出来ないことがあるんや。」「自由」というモノでは、達成できないこともある。どんな地域にもあるだろう。沖縄にもある。「強制的にやらされている」とうか、労働基準法とか、憲法とか、自由とかで解釈したら、間違いなく一発アウトの「伝統」が。でも、それはムラ社会では「絶対」だった。ムラ社会だからこそ、出来ていたこと。共同体だから、「個人」が権利を持ってないから、出来ていたこと。 神社も、日本中から無くなるんじゃないかなと思った。その地域に生まれたというだけで、神社の建て直しに50万円とか支払わされるそうだ。今の「権利」や「自由」や「個人」だと、すぐに断るだろう。ムラ社会だから出来ていたこと、御神田。神社。綱引き。祭り。ドンドン、消えて行く。「自由には、出来ないことがあるんや。」心の真ん中に響きました。※正確には、その老人が話してくれたことを、M氏が勝手に詩的に表現しているのですが、伺った話しの要点をまとめると、そういうことでした。イネは、人間社会の変遷など気にせず今年もこうべを垂れてました。 ⛺秋分の日のイベン続きをみる
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