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この世に存在するモノの数だけ、名前があります。
「ティッシュペーパー」という名前を僕たちはシってます。
じゃあ、ティッシュペーパーに、「ティッシュペーパー」と名付けたのは、誰でしょう?
それが大王製紙の人間なのか、ネピアの人間なのか、ティッシュで稼いだ会社のお金をカジノでスったあの社長なのか、
誰なのかは知りませんが、確実に言えることは、ティッシュペーパー自身ではないということです。
ティッシュペーパーが、生まれた瞬間に「わたしはティッシュペーパーである」と言いながら、ロールとロールの隙間から出て来たなんて、どの古文書にも記載が無い。
「じゃがいも」という名前もそう。それを「じゃがいも」と名付けたのは、
イモ研究科のジャガーさんなのか、それとも、同時にその野菜を畑で発見した、井本さんがいて、
「俺の方が先に発見した」「いや俺だ」とけんかになって、
よし、ここは、彗星の名称決定の方式で、二人の名前で連名にしよう。ジャガーから「じゃが」をとって、イモトから「イモ」をとって、
よし、この茶色くて丸い野菜は、「じゃがいもな!!」ってなったのかどうかは知りませんが、
確実に言えることは、「我はじゃがいもである!」とつぶやきながら土の中から出てきた恐怖の野菜ではないはずだ、ということです。
要するに、この世にあるモノの数だけ、「名前」がありますが、その全てが、自分以外の誰かに名付けられたということです。
「わたし」を呼ぶ(知る)ためには、わたし以外の人間が必要です。
「わたし」を観察するためには、「わたし」以外の視点が必要だから。
わたししかこの世に居なかったら、「わたしは天才だから、テンサイという名前にしよう」とは思えません。
なぜなら、「わたし」以外の人間がいたからこそ初めて、その他者と比べることで「わたし」が「天才」であると認識出来るのであって、
「わたし」しかいない世界では、「わたし」が何なのか認識できないので、「わたし」を呼ぶ(確定する・名付ける)ことなんて、根本的に無理なんです。
こんなに無数のモノが溢れるこの世で、たった一つとして、自分自身で自分自身が何たるかを認識できたモノが居ないなんて、不思議です。
「あなた」は、あなた以外の人が、「それがあなたである」と認識してくれました。だから、名前をもらえた。
ということで、来年から活動する「さとうみつろう」ですが、新たな略称・名前を考えています。
でも、自分自身で、自分自身に名付けるのはNGでしょの法則があるので、読者の皆さまから公募します。
コラムニストさとうみつろう。とか、
ジャーナリストさとうみつろう。とか、
スピリチュアル詩人さとうみつろう。とか。
または、今はやりの、美人過ぎる○○みたいなネーミングセンスから、
かっこよすぎる天才さとうみつろう、とか
上の名前を自分で言ってしまったことを踏まえたうえで、
痛すぎる凡人さとうみつろう。とか。
なにか、良い案がありましたら、およせください。
その名前にて、全国を駆け巡ります。
↓この世に無数に溢れる名前。でもたった一つとして、自分自身で自分自身を呼んだ者は居ない。
これを、深く考えると、本当に不思議な感覚になります。こんなにたくさんの、「名前」で呼ばれるモノがあるのに、
その一つとして、自身で自身を名付けたモノが居ないんだよ?
よーく、イメージしてごらん。マジデ、不思議な感覚になるから。こんなに無数のモノがあるのに、その全てが、だよ?
それ以外の何かが、ソレのことを、そう呼びました(名づけました)。
そのうえで、やはり、長年、ソレ(みつろう)を見続けた読者が、ソレを名付けるべきだと思いました。
かっこいいーやーつ、待ってます。