昨日は、 仙台で悪魔のワークショップでした。 イベント前日の夜に、被災者からのコメントを読み(⇒)、 前代未聞の、「明日、無料にします」発表。 既に、「有料」で買ってくれていた人たちの中にだって、 被災者が居るのに。 この不公平感に、 不満が湧くのは当然で。 「私は、「無理して」お金を出して、チケットを買ったのに。」 「どうして、同じ公演を無料で観られる人たちが居るのか!」 前夜のLINE決定送信から、久しぶりに胃が痛くなり、 あまり眠れないまま、会場へ。 「不安」はどこかにあると、膨らむモノ。 ホテルの部屋に居ると、想像の中にあるワークショップ会場で、 「怒っている」人や、「ふざけんな!」と叫んでいる人たちが。 だから、 「リハは10時に来てくださいね」と言われていたけど、 居ても立っても居られず、9時に会場入り。 「不安」はどこかにあると、膨らむモノだから。 実際にその「場所」に行けば、 それ以上に膨らむことはないから。 いつものように、入念にリハで指示を出して。 純正律の調律のための指示を出して。 ホールの音響さんや照明さんでさえ、 話していると安心する。 「どこか」の不安じゃないから。 彼らは「目の前」に居るから。 実際に、客席に座ってみて。 お客さんは、今日、 どんな気持ちでここに座るんだろうな?と考える。 ついに、開場。 お客さんが、パラパラと入って来る。 そして。 「どこか」で膨らみ続けた不安が、 今、目の前に現れると。 誰も、不満なんて言ってなくて。 中には、会場の入り口で、 「1万円払います。お釣りは要りません。」 と、無料で入る他の人の分まで出してくれる人や、 「無料で解放するとLINEで観て、チケットを買って来ました」 という人、 「会社へ行く途中の東京駅でブログを読み、 急に具合が悪くなって、仙台まで新幹線で来ました」など。 愛、ばかり。 「不安」はどこかにあると、膨らむモノ。 信じて、踏み出せば。 そこに在ると思い込んでいた「悪」は、「愛」だった事に気づける。 悪魔のワークショップ続きをみる
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