ぜんそくの子は、 優しい子になる。 誰にとっても「当たり前」である、空気が吸えないから。 夜中に何度も溺れた夢を見、飛び起きる。 寝てる間に止まっていた呼気がよみがえり、 起きたと同時に、めいっぱい空気を吸い込む。 あぁ、誰にとっても「当たり前」であるこの空気が、 いかに「ありがたい」ものなのか。 あぁ、どうして誰も、 空気が吸えるというこの喜びに、 無限大の価値があるという事を知らないのか。 ぜんそくの子は、 優しい子になる。 誰もが「当たり前」だと思っているモノに、 「有り難さ」を感じているから。 空気の価値を、 水の価値を、 家族の価値を、 身体の価値を、 この国の平和の価値を、 バスの価値を、 太陽の価値を、 気温の価値を、 嫌いな人と喧嘩できる日々の価値を、 泣ける価値を、 涙の価値を、 屋根の価値を、 窓の価値を、 今日着た、この服の価値を、 感じている。 ぜんそくの子は、裕福だ。 彼の生活はもはや、「計り知れない価値」で溢れている。 世界で彼よりも「価値ある人生」を送っている人は居ない。 金持ちの子は、貧乏だ。 誰もが欲しがるモノが、当たり前だから。 外車は、当たり前。 残したステーキは、当たり前。 食事が出てくるのは、当たり前。 50着の洋服が、当たり前。 周囲の優しさが、当たり前。 広い家が、当たり前。 健康な体が、当たり前。 家族が、当たり前。 生きていることが、当たり前。 水が、当たり前。 そしてあの、無限大の価値がある空気が、 当たり前。 彼の生活にはもはや、「価値」が1円も無い。 どれと、どれを足しても、 0と0は、0なのだ。 どれほどのモノを抱えていても、 彼の日々は、ゼロ円なのだ。 昨日の講演会に来てくれていたわらわ~さんが、 徐々に身体中の筋肉が使えなくなって行く病気で母親を亡くした事で、 「ただお茶碗を掴めるという事の有難さを、 母が教えてくれました。」 と、言ってたので。 「ぜんそくの子は優しくなるんだろうなぁ~」 となんとなく感じて、 ブログなんぞ書いてみたんだけど。 おぼっちゃまくんの写真で、 一気に哀愁がぶっ飛んだよね。 チョイス、大事。 違う写真に今さら差し替えても、 失ったモノは、もう戻らない訳で(笑) あなたの生活は、どれほどの価値がありますか? レジのねーちゃんが決めるんじゃなくて、 どうやら、あなたの人生の価値を決めて続きをみる
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