国立博物館(東京)で「三国志」の特別展をしているそうで、なぜか宣伝してくれとお願いされました(笑)。なんで俺が?状態ですが。でも確かに、よーく考えてみると、なんで俺が?状態です。よーく考えてみても一緒でした。そもそもが『三国志』どころか、歴史に興味が無い。どころか、勉強に興味が無い。どころか、興味がある事以外に興味が無いのに。やっぱ、なんで俺が?状態です。このポスターの「主人公?」っぽい人がマジで誰なのかすら分からないのですが、たぶん「三つの国」に「それぞれの志し」があったぜ!ってストーリーです(予想)。諸葛孔明の言葉に、「己の過ちを知らず、愚かなり」という名言があるそうです。オンラインゲーム『三国志』のホームページで見つけました(笑)アヤマリには、①『誤り』と②『過ち』があるそうで、①の「誤ち」は過去において判断を間違えた事。いわゆる「後悔」に繋がる誤りです。「あっちの道にしておけば良かった」それが誤ち。判断ミス、選択ミス。一方、諸葛孔明(from オンラインゲーム)の述べた、愚かな人は己の過ちを知らずの『過ち』は、止まるべきゴールをもう「過ぎて」しまっている状態。 「やり過ぎて」しまった事。行き過ぎてしまった事。過ち。さて、ここでクエッション!先ほどの①の「誤ち」を判断するのは誰でしょう?これはいつでも、「自我」「わたし」です。「あの道の方が正解だったのに・・・」と勝手に思い込む。名著『神さまとのおしゃべり』で、カレー屋さんに行かずに、ラーメン屋さんに来た主人公が後悔した「誤ち」。 神さまとのおしゃべり (サンマーク文庫) [ さとうみつろう ]993円楽天 これは「自分で思い込む」タイプの誤ちです。一方②の過ち。さて、この過ち(行き過ぎ)には、どうやって気づけるでしょうか?当然ですが、「NOW」の場所で車を運転している「わたし」は、もっと先にゴールがあると思い込んでいるので、「過ち」を犯した事に気づけません。どこまで行っても「過ぎた事」には気づけません。だからこそ、諸葛孔明(オンラインゲーム出身)は深い!!これ、諸葛孔明であってる?孔明さんは、愚かな人は、過ちを知らず他人の声に耳を傾けないと絶対に気づけない性質の「過ち」を知らない者こそ、愚か者であると闊歩したのです!!要するに、愚かな人とは「他人の声を聴かない武将」であると。えーっと、来週9月16日までだそうです。こんなんでよろしいでしょうか?★科学データが明らかにする「生前」の記憶★講師:大門正幸先生(中部大学教授)日時:令和元年9月7日(土)場所:名古屋電気文化会館イベントホール⇒詳しい内容・お申し込みはこちらから ↓て続きをみる
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