「神社にも本音と建前があるんです。多くの人に来て欲しいけど、声高にそれは言えない。」神社の人にそう聞いて降りた稲佐の浜には、コロナ前と同じくらい人が居た。警備員も例年と同じ体制で配備されていて、駐車場もいつも通り開けてくれていた。去年と同じく、神さまはバスに乗って浜から移動。意外と、「コロナになってからは快適じゃ~」と言っているかもしれない。地元の人たちは、「お忌さん(おいみさん)」と言って、祭の期間中は音を立てないらしい。歌とか、喧騒を慎む禁忌の祭。だから、カミムカエ祭りへ行ったことの無い出雲の人が多いそうで。みつろう「え?でも毎年稲佐の浜のご神事に来て下さいってHPで呼びかけてるよね?」出雲人「観光客は、全国の神様たちが乗って来るハコだと考えているので、お忌みさんの時に出ていても良いのです」稲佐の浜から出雲大社までの神さまが通る道は、「カーテンも窓も閉めて、外に光を漏らさない」家がいっぱい。神さまが通る間、観てはイケナイらしい。逆に、神さまが通る時に家族全員で玄関の前に立って通過を確認し(家に呼び込み)、すぐに中に入る家も。色々な習わしがあるらしい。そんなカミムカエ祭りを終えて、ダッシュで車に乗りホテルへ向かう途中に、でっかいイオンモールが出雲にも出来ていた。ガラスの中に観える「よく見る商業施設」は多くの人が賑わっていて、買い物していたり、ご飯を食べていたり。そうか、「関係ない人」も多いのか、と思った。浜で迎えないとイケナイ(参加)も家に籠らないとイケナイ(不参加)も、実はどっちもカミムカエ祭りに「関係している人」。「不参加する」、という関係性がある。でも、ここに居る沢山の人は、本当に「関係ない人」たち。「浜にも降りず」「浜に降りないようにしよう」もせず。なんだか、その人たちの存在が有り難かった。え?って思うかもしれないけど、「関係ない人たち」が同じ街に居るということが、どれほど有り難いことか。サラリーマンなら、その会社のビルの外に居る人たちは、もう関係ない人。あなたの仕事に関係ない。あなたの上司に関係ない。あなたの人付き合いに関係ない。だから、あなたが職場で思い悩む全てのことは「ちっぽけ」で、ごく一部の人間たちが「関係している」だけのこと。「関係ない人たち」が居るという事実が、あなたの悩みの「ちっぽけさ」を証明してくれる。主婦でもそう。隣りの家は少し関係しているとしても、10軒隣の人はもう「関係ない人」。あなたが抱える人間関係や悩みに、何の「関係性も無い人たち」が居る有り難さ。稲佐の浜からダッシュで抜け出したから思ったのか続きをみる
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