クレオパトラも、秦の始皇帝も、スティーブ・ジョブズも、若さを求めた。どれほどの黄金や権力を使ってでも、若さが欲しかった。でも、たぶん「求めた」ということは、気づかなかったんだろう。「若さ」の本質に。「若さ」の魅力とは、「何も持っていないこと」だ。シミを持ってない、シワを持ってない、疲れを持ってない。経験を持っていない、知識を持っていない、しがらみを持っていない。持っていなければ持っていない程より「若く」なる ことになる。そう「持っていない」という事は、金銀財宝にも替えられないくらいに魅力があるのだ。「あの頃の僕に戻りたい」とジョブスは手記に書いたが、あの頃の僕は「何も持っていない」だろう。だからこそ、魅力的なのだ。誰もが求めている財宝「ナニモモッテナイ」。別名「若さ」。それを、求めるなんて(笑)「何も持っていない」を、さらに「持とう」としている。ベクトルが逆だから、無理だ。若さを手に入れたら、あなたはさらに老化するだろう。持っていなければ、持っていない程「若い」。ということは、持てば持つほど、「老化」するという意味だ。今日10月17日で、ミリンちゃんは1才。コクトウお兄ちゃん(小6)よりも、ザラメお姉ちゃん(小2)よりも「持っていない」が多いけど、世界中の人を魅了してやまない「若さ(持っていない)」を彼女は持っている。その笑顔はクレオパトラよりも、美しい。初めてのお誕生日、おめでとう。 ★11月令和塾『祈りが現実社会に及ぼす影響』講師:小久保秀之(明治大学教授)時間:11月16日(土)13:30~場所:丸の内vacans(東京)詳しい内容・申し込みは⇒こちらから ↓お誕生日も「初めて」ってことは、今日で1つ「誕生日」を持った事になる。こうして、生きれば生きるほどに色々と「持つ」事になる。でも、実は誰もが求めてやまないのは「持たないこと」なのだ。誰も気づいていない。若さとは「モッテイナイ」の別名だという事を。エジプト語で「ワカサ」は、日本語で「持っていない」に相当するのだ。???なにが???なんか文句ある?とにかく、誰もが「何も持っていない私」を、「持とう」としている。無理だ。「持っていない私」を持った瞬間、「持っている私」になってしまうのだから。無理だ。無理なのに。それでも今日も世界中の人が「持っていない」を「持とう」としている。この滑稽な芝居に気づけたなら、普段の生活がかわいく見えて来るよ。若者の魅力は、「何も持っていない」こと。持っていないということは、自由だ。AにもBにも行ける。「Aはダメだよ」という知識を「持った」人は、Bの道にしか行けなくなる。不自由だ。老化とは不自由の事だ。「持ち」過ぎたせいで、行けない道が多くなった。「持った」数だけ、苦しみ(行けない道)が増える。赤ちゃんは「晴れの日」と「雨の日」の知識を持っていない。だから、雨は嫌だなぁ~とは思ってない。雨の日も晴れの日も、にこやかに自由に笑っている。続きをみる
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