Quantcast
Channel: さとうみつろうオフィシャルブログ「笑えるスピリチュアル」Powered by Ameba
Viewing all articles
Browse latest Browse all 4308

イマココは想えない

$
0
0
今日からボノスー3日間。北海道に居ると、なぜか沖縄の自分の畑のことを想います。沖縄に居ると、北海道に行きたいんだけど。人間は、無いものねだり。仕事で忙しい時はヒマになりたいと思うけど、暇なときは忙しくなりたい(生活に張りが欲しい)。彼氏が居る時は独り身になりたいし、独り身の時は白馬の王子様に来て欲しい。 旅先でホテルの中に居る時は外に観光に行きたいけど、 観光で回ったら「ホテルで休んでたら良かった」。 こうしてイマココじゃないことを常に「想う」のが人間のサガなんだけど、今日の話しは、「だからこそ今に集中しなさい!」とか、「只管打座!」とか、「瞑想!」とかそんな、よく聞く話しじゃなくて。そもそも、イマココは想えないべや?っていうお話し。(なぜ北海道弁?) いま目の前に見ているものを、「想う」ことなんて誰にもできない。だって、見ているんだから。その映像入力(網膜刺激入力)の方が「想像」より格段に強いもんで、見ているモノは、「想え」ない。リンゴを見ながら、リンゴを想えたら凄い。「え?簡単です」って言っている人の、その脳内にあるリンゴは、目の前のリンゴから感覚器官を通してインプットされたリンゴであり、想像の部位を使って再生しているリンゴではない。「見て」いるモノは、「想え」ない。機能がそもそも違う。①目の前で起こっていることを感得する方法は、見る、嗅ぐ、触る、聴く、味わう。②そして、目の前で起こっていること以外のことを感得する方法が、「想う」である。でさー、人体に「想う」という機能が(感得するための機能が)デフォルトで用意されているってことは、別に煩悩って自然なこと・・・、 目の前以外のことに気が行くのは、至ってナチュラルなことだと思うんです。「イマココに集中しろ!」とか歌っておいて、なんなんですが。長男ですが。むしろ、最近のスマホ社会では、「見る」があまりにも強いので、「想う」という機能がぜんぜん使われていない。常に、YOUTUBEかTIKTOK見ている。だから、 あなたが、「ここじゃないどこかへ行きたい」と、「想う」のは、ぜんっぜんイイコトだと思うんです。 その「どこか」を脳内で再生することで、少しずつ組み立てて、組成を変えて、リアルにして、そしてまたその場所へ戻った時には、 目と耳から入って来た情報も加えて、脳内設計図を「建て直す」。「どこか」に居る時に、続きをみる

『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』


Viewing all articles
Browse latest Browse all 4308